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目次

オヤジのB級ホビー宣言第1回 1999年9月(第18号)
私が「ラジコンエンジンカー」にハマったわけ

第2回 1999年10月(第19号)
オヤジのホビーは山あり谷あり


第3回 1999年11月(第20号)
「あららら〜〜らぁー」

第4回  1999年12月(第21号)
おこづかい値上げ闘争

第5回 2000年1月(22号)
サーキットデビュー でも、ちょっとヘン

最終回 2000年2月(第23号)
B級ホビーで感じるオヤジの小さな幸せ


オヤジのB級ホビー宣言第1回 1999年9月(第18号)
私が「ラジコンエンジンカー」にハマったわけ

 私は「ラジコンエンジンカー」にはまっております。マニアとまではいきませんが、それでも16台ほどを所有するに至っております。
 なぜはまったのか? そのきっかけは、あー、忘れもしません、あの真夏の日曜日のことです。急な仕事が入って一日中外をかけずり回る羽目に。そしてようやく仕事を終え、コーヒーでも一服と喫茶店に入ろうとしたその時です。
 その横にある公園の広い駐車場で「ブイー、ブイー」と何やら大きな音を立てて小さな物体が走り回っているではありませんか。
 さらに近づいてみると、その物体はラジコンエンジンカーだったのです。そこでは30代から40代のオヤジたちが数名、さまざまな道具をパラソルつきテーブルに広げて楽しそうにやっていました
 私は時間を忘れついつい、その光景に見入ってしまったのです。
 「くそー、このオヤジたちは休日をしっかり自分のホビーで楽しんでいる。それに比べてこの私はどうだ。休日なのに汗かいて仕事をして……。それにしてもエンジンカーというのは結構早くて迫力があって面白そうだな。オレもやってみたい」
 家族にオヤジホビー宣言
 考えてみれば、私の休日は家族サービス中心で、公園やデパート巡りに付き合うことで1日が暮れていたのです。近ごろは、デパートに入るのも面倒くさくなり、車で寝そべって待つことも多くなりました。まあ妻子の「アッシー君」状態ですね。公園でも子供と遊ぶわけでもなく、ベンチでゴロゴロするだけのアザラシオヤジ状態でした。
 そんな「アッシーゴロゴロアザラシオヤジ」であった私がエンジンカーオヤジの休日を見てしまったのが運のつきです。
 私はその日、自分の現状を大いに反省し、エンジンカーによる楽しく豊かなホビー人生を送ろうという決心をしたのです。またその決心を強固なものにするため、家族と自分自身に向けて「オヤジホビー宣言」なるものを公布しました。
 宣言文「私は「アッシーゴロゴロアザラシオヤジ」であったが、いまこそその状況を改め、オヤジのオヤジによるオヤジのためのラジコンホビーに徹する」。
 家族の反応といえば妻は「まだトロイことを考えとるな」程度のものだったのですが、2人の娘たちは「わーいやだ、お父さんオタクとかになるんだ、クライー」と言われてしまいました。
 私は「でもね、オタクとかマニアとかいわれるまでにはのめり込まないから。まあー、A B CでいえばB程度のホビーだから。みんな心配しないでね」とその場を繕い、結局「オヤジB級ホビー宣言」と名を改めて家族の理解を得ようとしたわけです。
 私はこの宣言が家族の隅々まで(雌犬のメロちゃんを含めて)行き渡るようワープロで打ちだし、部屋やトイレのドアに張り出しました。そして早速、エンジンカーホビーの下準備に取り掛かったのです。
 オヤジのワンダーホビーランド
 まずは情報収集ということで本屋に行き、ラジコン系の雑誌を手に入れました。その内容の大半は通販やディスカウントショップの広告で、オールセット25,000円ほどでエンジンカーが手に入り、走らせることがわかったのです。それに自宅の近くにも安い店があることが分かり、さっそく行ってみることにしました。
 「まずはあせらず、店をはしごしてカタログを集め、じっくり買うものを決めていこう」と、まあそんなつもりで1軒目に入ったのです。ところがその店のドアを開けて入ってしまった私は、、、とんでもない世界のドアを開けてしまったことになったのです。
 店の中に入ったとたん、棚にぶら下がっている部品やキットをちょんちょんつついたり、腕を組んでじーっとショーケースに飾られているキットを見つめているオヤジたちの一団が、そう右も左もそこら中にオヤジたちが群がっている状態が、私の眼中に飛び込んできたのです。しかもみなさん目がキラキラ輝いていらっしゃる。
 まさにここはラジコンランドオブオヤジの世界だったのです。
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 第2回 1999年10月(第19号)
オヤジのホビーは山あり谷あり

 そのポルシェください!
「オヤジのB級ホビー宣言」を公布した私はついに「ラジコンランドオブオヤジ」の店に足を踏み入れたのです。
 店内ではオヤジが目を輝かせて至福の時を過ごしていました。また、そこかしこから彼らのラジコン談義が聞こえてきます。「やっぱり、リアはライドのVRだね」(?)「ノーマルのよりOSの方がパワーあるよ」(??)「スーパテンのATCありますかぁ」(???)。どの会話も私には理解不能でした。うーむ、なかなか奥が深い世界のようです。
 オヤジウォッチングに没頭していた私はわれに返って、自分が買うべきエンジンカーを探し始めました。しかし、どれにすればよいのやら皆目わかりません。仕方なく私は店員の助言を得ることにしたのです
。 「あのー、エンジンカーやりたいんだけど、どんなのがある?」
 「初心者ですね。それでしたら当店のお薦めはこの3機種です。まあ、どれも同じようなもので、あとは好みですね」
 「その中で特にお勧めは?」
 「そうですね、このポルシェなんかはお値打ちです。キット以外の始動用具セット込みで26,500円。この価格は他店には負けません」
 「ポルシェかぁ、いいねえ、ポルシェ」
 「えーと、ポルシェは今のところ在庫がこれ1代限りですが………。特売ですからねぇ、ポルシェいかがですかぁ?」
 「・・・・・、そ、そ、そのポルシェください!」
 私は「あと1つ商法」でポルシェを買ってしまったのです。本物のポルシェは一生涯買えませんが、ラジコンポルシェなら26,500円で買えるのだ!私は「店をはしごしてじっくり作戦」を見事に放棄して最初の店で衝動買いをしたのであります。
 妻子はオヤジホビーの敵
 大きなポルシェキットの箱を小脇に抱え、私は家路につきました。家に入ると、下の娘が目ざとくポルシェを見つけて、「うぁー、お父さん、大きなおもちゃ買ってきたよー」とさっそく妻に報告です。
 「あらあら、高そうねぇ。ちゃんと動くのかしら?網戸の張り替えもまともにできない人が、大丈夫?」などとよけいな心配をしてくれます。「チッ、女、子供にオヤジのホビーがわかるかぁ」と私は一喝、ではなく独り言を呟いた後、自分の部屋に引きこもったのです。
 キットはさすが初心者用。私は2日ほどで難無く完成させました。ところで、エンジンカーの第一ハードルはエンジン始動です。初心者はこれがうまくいかない。私は説明書と首ったけでエンジン始動にトライしました。二三の手順を踏んで、あとはスターターのひもを引くところまできました。これでかかるはず。ところが何度ひもを引っ張ってもエンジンがかかりません。
 「おっかしいなぁ」。汗がにじみ出てきて髪の毛が頭皮に張りつきます。ついにはひもを引っ張る指の皮がむけてしまいました。それでもめげずに張り続けたところ、「ブルルル」と少しエンジンが回転しはじめました。しかしすぐ止まってしまいます。
 こういう時に限って下の娘が見学に来るのです。「お父さん、エンジン故障?かからないの?」「ウム、いや、もう少しだ」。私は背を丸め、ひたすらスターターを引っ張り続けます。
 娘はまたも妻に報告。「お父さん、エンジンかからないんだってぇ」。妻がやってきて「おやおや、26,500円はドブかしら?」
 おおよそ女というやつは自分以外の何かに熱中されると、それがたとえ「もの」であっても嫉妬するらしい。
 しかし私は彼女らの冷やかしやいやみにもめげず、スターターを必死に弾き続けました。そしてついにエンジンがかかったのです。「ブルルルー」小気味よい音と白い煙を出してエンジンが回りました。「やったー、おい妻よ、娘を、こっちへ来い。みろ、エンジンがかかったぞー」
 ドレドレと妻子が集まってきました。私はこのエンジンの迫力をアピールするため、思いきり吹かしてやりました。するとエンジンからは、すさまじい音とともに、黙々と白い排気ガスが吐き出されてきたのです。私はその煙にむせて、くしゃみと涙が出てきました。
 「おいみろ、ハッ、ハッ、ハクショーン。すごいだろうー、フガフガ。迫力あるだろうー、ヘッ、ヘクション。ついにエンジンがかかったぞー、ずるずるー」鼻水と涙が止まらなくなりました。どうやら私はこのエンジンの排気ガスにアレルギー反応を起こすらしいのです。そこへ妻がすかさずツッコミ。
 「エンジンカーって、臭くて、汚くて、うるさい「くっさーホビー」なのね」
 「……」
 オヤジのホビーは山あり谷ありなのです。 目次へ



第3回 1999年11月(第20号)
「あららら〜〜らぁー」

 ラジコンと家族どっちが大事なの?
 家族からの冷ややかな視線にもめげず、私はラジコンエンジンカーの第一ハードルであるエンジン始動に成功しました。
 私は早速、次なるステップ、空き地での走行計画を頭の中でめぐらせました。「速く走らせたい。次の日曜日は空いていたかな?」。私は冷蔵庫の横にかけてあるカレンダーに目をやりました。「よーし、行くぞ!」と声を上げたその時です。
 「ヌー」と、妻の顔が私とカレンダーの間に分け入ってきたのです。妻は一瞬、「ニヤッ」と笑ったような表情をした後、いかにもうれしそうな声で話し始めました。
 「ねぇあなた、今度の日曜日はデパートへ行きましょう。娘のピアノの発表会に服と靴を買わなきゃいけないし。娘も楽しみにしているからいいわよね!」
 「ガビーン」です。「また、車の中で寝ていてもいいけど、お昼は久しぶりにホテルのバイキングでも食べましょう。」「あのー、そのー、オレとしてはエンジンカーを走らせたいんだけど……」。妻は「そらきたな」という表情になった後、さらさらと前もって決まっているセリフを朗読するがごとくに話し始めました。
 「あなたは先週の連休、ラジコンとやらで楽しんでいたじゃない。私はこの1カ月どこへも出掛けていないのよ。それにピアノの発表会に間に合わせるには今度の日曜日しかないの」そして最後のとどめを刺してきたのです。
 「あなたはラジコンと家族とどっちが大事なの?」。これは女がよく使う慣用句みたいなものですね。私は、これまたいつものように「どっちも」といってしまったのです。妻は勝ち誇った顔して「それじゃ順番からいけば、今度はデパートねぇ。それでおあいこになるわ。」
 娘たちもどやどやとやってきて「お父さん、ズルーイ。自分だけおもちゃ買って、私たちは買いにいけないの」などと妻に味方します。私は「このままじゃヤバい。エンジンカーはやれない。なんとかしなくては……」と考えを巡らせました。そしてついに良い案が浮かんだのです。
 「そうだ、こうしよう。デパートも行くけど、ついでにお弁当でも買って近くの公園で食べよう。犬のメロちゃんもつれて。公園を走り回ってあいつも喜ぶぞ」「まあ、そのついでといってはなんだけど、エンジンカーをその公園で走らせることもできるし。いいだろう、この案!」
 妻も「そうねぇ、○○デパートなら近くに広い公園もあるし、まあ私たちがデパートに入るとき、あなたが犬の面倒見てくれるのなら、その案に乗ってもいいわよ。」と賛同したのです。
 壊れたポルシェと立ち尽くすオヤジ
 そしてついにその日が来ました。天気も良く絶好のラジコン日和です。私は妻たちをデパートに送り、そのまま犬とエンジンカーグッズを手に公園へ向かいました。広〜い公園駐車場はガラガラで、思いっきりエンジンカーを走らせることができたのです。
 昼ごろ、妻たちが買い物を終え弁当をもってやってきました。エンジンカーは私の操縦のもと、ビュンビュン走っています。娘たちは「ワァー」と私のところへ寄ってきました。やっぱり子供はかわいい。興味津々の目でエンジンカーを見ています。
 妻は何故か私から20メートルぐらいの距離を保って眺めていました。この距離こそ童心に帰った男のホビーを理解してやろう、でもなんだか恥ずかしいという心の距離なのでしょう。
 わたしはそんな妻を横目に、くっついてくる娘たちの反応に喜びました。それで「俺のやってることに興味を持っている。それならちょっと遊んでやるか」と思い、娘たちに「おまえたちもやってみるか?」と誘いをかけたのです。「やる、やる」と娘たちが乗ってきました。
 私は送信機を娘に握らせその小さくかわいい手に私の手を添えて操作ミスをしないように注意しながら走らせました。娘も大満足のようです。
 オヤジのホビーに娘たちが乗ってきた。「これは良い兆候だぞ」などとにんまりしていたときです。妻が「あっ、お父さん、お父さん、犬の引き綱が解けた」と一言。私と娘は「エッ」とそっちに目を向けました。
 その目を離した瞬間、エンジンカーはあらぬ方向へ。私は娘に「ブレーキ!」と怒鳴りました。そのただならぬ大きな声に娘は「ピクッ」として、逆にアクセルを思いっきり入れてしまったのです。私のポルシェはコンクリートの壁に高速で激突しました。
 タイヤが2個、その他、大小の部品が数個、空中に舞い上がるのが見えました。「あっ!」「アラララ〜〜ラァ」。私の怒りともあきらめともつかぬ声に、娘の私を見る目は「おびえ」に変わっていたのです。10秒後には、娘たちも20メートル離れた妻の所にました。私は壊れたポルシェと妻子の間に、ただ呆然と立ちつくすのでした。 目次へ



第4回  1999年12月(第21号)
おこづかい値上げ闘争

 ラジコンで甦る改造カーの夢
 「エンジンカーを走らせる」という夢がついにかなったその日。私の愛車、ポルシェは壁に激突して大破したのであります。娘と私の2人で操縦していたのですから、だれも責めることはできません。
 しかし、私の失意の表情を目の当たりにした娘は、「私−ラジコンカーー娘」のつながりから外れていったことは確かです。何か心にさみしいものを感じるのですが、所詮オヤジのB級ホビーなど、1人で背を丸め、ごそごそやるもの。そこに家族の共同幻想を期待したのがそもそも間違いだったのです。
 気を持ち直して、ポルシェの修理に取り掛かりました。まず破損した部品を買いにラジコンショップへ行ったのです。そこで私は「なあ〜んだ、そうだったのか」と思いました。ちゃんとスペア部品がキットメーカーから出ているではありませんか。しかも、よく壊れそうな部品がたくさんストックされています。ラジコン屋というのは、すなわち、壊れたパーツを売るところでもあったのです。
 私はさっそく破損した部品を探し出しました。トータルしても、たいした金額にはなりません。「うーむ、いけるぞこれは。壊れてもたいしたことはないな」と安心しました。B級ホビーの継続に希望の光がさしたのです。
 その勢いで私は、ついでに他の部品が展示してあるコーナーも見に行きました。実はここに大きな罠があったのです。そこには何やら「スペシャル○○」とか「強化アルミ○○」などといった部品が置いてありました。説明書を読むと「純正より5倍強化」とか「これでスピードアップ」とかうたってあります。つまり、クルマ屋やパソコン屋のグレードアップ、いわゆる「改造商法」がそのままラジコンの世界にも存在していたのです。
 「そういえば、オレも若いころは自分の車のマフラーを太くしたり、いろんなアルミホイールをはかせたりしていたな」
 ラジコンにもスペシャルマフラーがあり、それを付ければスピードもアップし音も迫力が出るとのこと。
「そうか、スペシャル部品を装着すれば、実車ではできなかったバリバリの改造カーがラジコンでできるんだ」。私の夢はふくらみました。「マクラーレンポルシェ」(古いなあ)ならぬ、「姿一平ポルシェ」が作れるのです。
 あの手この手のこづかい値上げ闘争
 しかし、ここにひとつ大きな問題がありました。それは値段が非常に高いということです。純正スペア部品の3〜4倍はします。私の手持ちの小遣いでは、とても手が出ません。部品ひとつ買っただけで財布には20〜30円しか残らないのです。私の顔はくもりました。資金が足りない。しかも次の給料日まではまだ20日以上もあるのです。
 わが家の家計は100%妻が握っています。そのうえ、先月には小遣いを2,000円アップしてもらったばかりです。「姿一平ポルシェ」の夢はあえなくついえ去るのか?
 うーむ、こうなったらやるしかない!賃金闘争ならぬ「ラジコン緊急財政投入要求闘争」を。作戦は?陳情、ストライキ、デモ、口説き、泣き落とし、お色気作戦・・・・。私はありとあらゆるやり方を検討しました。
 そしてついにたどりついたのが「仕事ストレス解消手段としてのラジコンは、健全なる労働を続けるために必要かくべからざるものである」との基本理念を持ち、その下に土下座してでも妻よりお金をもらうという方法です。これを毎日粘り強く続ける。「粘りこそ、この作戦のかなめである」と私は決心したのです。
 私は家に帰ると、さっそくこの作戦を開始しました。要するに「小遣いが足りない、出してくれ」ということを「心の癒しのためであり、ひいてはそれが家族の円満と幸福につながる」という、どう見てもこじつけとしか思えない主張を繰り返すわけです。
 誰かの本で「ウソも100回言えば本当になる」というのを読んだことがあります。私もそれにならって、朝食、帰宅後、夕食、そうしてまくら元(○○の時も)と、ありとあらゆる場面で「疲れた。心の癒しはラジコンだ」言い続けたのです。
 さすがの妻もこれには辟易したようで、ついに「いいわよ」と言ってくれました。しかしそれは条件付きだったのです。
 「こづかいの前借りという形ならいいわ。だから来月の小遣いはその分、減らすわね」
 「はぁー?」
 「とりあえず、私の内職のお金から出しておくから、買ってきたら」
 そう言って妻はポンと10,000円を渡してくれました。それで私はついに強化部品を手に入れることができたのです。しかし、翌月の小遣いからは、しっかり10,000円が引かれていました。こういうのを「自転車操業」「つけの先送り」というのでしょうか。
 「姿一平ポルシェ」はとても金食い虫なのです。 目次へ


5回 2000年1月(22号)
サーキットデビュー でも、ちょっとヘン

 「B級ホビー」から「B級オタク」へ昇格(?)
 公園の空き駐車場で走っていた金食い虫の「姿一平ポルシェ」もそろそろ、ラジコンサーキットで走らせる時がやってきました。ラジコン関係の雑誌を見ると、安城市にあるサーキット場が、わが家から1番近いようです。早速、ラジコングッズを車に積んでそこへ行きました。
 ついて驚きました。朝の10時半だというのに、もうすでに15人ぐらいの人が(それも半数以上はオヤジ)、すでに「ブイー、ブイー」とやっているのです。私もすぐに店の人にひと通りのマナーや注意事項を聞いた後、2,000円を払ってサーキット内に入りました。
 そこでの皆さんは、ラジコンカーをに2〜3台所有し、その他関連グッズをいっぱい広げて整備と走行を繰り返していました。しかも彼らの車はとても速いのです。私の「姿一平ポルシェ」も大枚をはたいてスペシャル部品をつけていたのですが、とてもスピードでは勝てそうにありません。
 どうして速いんだろうと思ってちらちら盗み見をしていると、どうやら皆さんの車はエンジンを高性能なものにのせかえているようです。また、それに合わせてタイヤやサスペンションも工夫しているようで、もうほとんど実車のカーレース並みのチューニングといったところでしょうか。
 一方、私はといえばコースに慣れていないせいもあって、すぐにあちこちぶつけてしまいました。「姿一平ポルシェ」はたちまち見るも無残な姿になっていったのです。
 しかし、サーキット場の隣にはラジコンショップがあって、そこへ行けばスペア部品があります。それでぶつけるたびに、部品を買うためにショップへ出入りすることになりました。そして1日終わってみれば、数千円が財布から飛び去っていたのです
 「うーむ、エンジンカーというのは走らせるだけでもお金がどんどんなくなっていくものだな!」と思うと同時に「だから金銭的に余裕のあるオヤジが多いのか」ということが分かりました。
 3〜4回サーキットに通っていると、1人2人と話しかけてくる人が出てきました。「オタク、どんなタイヤ履いているの?」とか「オタクのエンジンはノーマル?」とか聞いてくるのです。私もそれに受け答えしているうちに「オタクの車速いですねぇ、どうして?」などと逆に質問するようになりました。
 「オタク(!)」
 そうです、この言葉は私の会話から何度となく自然に出てくるようになったんです。
 「オレもついに「ラジコンオタク」になったんだなあ」とそのとき思いました。「B級ホビー」は、ついに「B級オタク」に昇格したのです。
 オヤジのB級ホビーは妻子には理解不可能(?)
 サーキット通いにも、もちろん家族とのあつれきが伴います。私も妻子を連れていったことがありました。そのとき、サーキット場に仁王立ちした妻は言いました。
 「何か、ここって独特の雰囲気があるのね。それに太めの人とか、妙にガリガリで背の高い人とか、チックで髪を固めた会社の管理職風の人とか、何なのよ、この人たち?」
 あげくに「私、近くのスーパーで夕食の材料買ってくるわ」といい放ち、15分とその場にいませんでした。
 サーキット場の中には若い女性同伴のラジコン男もいます。しかし、その彼女も何か時間を持て余しているようで、つまらなそうです。そして1時間もたたないうちに、どこかへ行ってしまいました。
 その時、私は「そうか、ここはデパートとか動物園とかの「女、子供」の世界とは違うのだ。男の、そしてオヤジのホビーに戯れる世界なんだ」と思いました。彼女たちは、妻子に対して日ごろ感じている男の気持ちを、この日思い知らされたに違いありません。
 私は妻に言ってやりました。
 「ほらほら、今君が感じていること、それは俺が「B級ホビー宣言」する前、デパートの駐車場で車の中で寝ながら待っていたときの気持ちと同じものなんだよ! わかるかなぁ」
 「はいはいよくわかったわ。でもね、デパートはみんなが行くわよ。ところが、ここへ来る人は少数派でしょう。しかもちょっと他の人とは違うわ。何か変なのよ・・・・」
 やはり妻には私の「B級ホビー」は心底理解できないのでしょう。きっとこれからも・・・・。

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最終回 2000年2月(第23号)
B級ホビーで感じるオヤジの小さな幸せ

ラジコンサーキットがオヤジの「癒し」の場
 サーキットデビューではついに妻子の理解を得られませんでしたが、私はその後もせっせとサーキットに通いました。しかし、お金は羽が生えたように財布から飛んでいき、10日ほどで小遣いを使い果たしてしまったのです。だからといってそう何度も前借りができるものでもありません。
 子供たちは「お小遣いが前借りできるのなら「ポケモン金」を買って」などとおねだりしてきます。妻も「ヨークのスカートが欲しいわ」などとつぶやくのです。
 しかし思わぬところでこの解決策が見つかりました。サーキットで知り合いになった人が「ただでエンジンカーを走らせる公営のサーキットがある。しかも車にやさしいコースレイアウトで壊れにくい」と教えてくれたのです。
 場所もなんと自宅から車で20分ぐらいのところです。私はさっそく行ってみました。そこには確かに「ただ」で一日中走らせることのできるサーキットがあったのです。私はわが「B級ホビーオタクオヤジ」の天国を発見したような気がして嬉しくなりました。
 このサーキット場には、いわゆる常連の人が10人くらいいて、土日は朝から暗くなるまで一日中ラジコンをやっています。新参者である私は、まあサーキットのちょっと隅のところに陣取って半日ほど楽しむようになりました。
 しかしここに来る常連の人たちが「すごい」のです。正月休みなどは、なんと12月27日から1月3日まで1日も休まず通い続けています。一体、この人たちの正月はどうなっているのでしょうか。私は試しに朝の7時ごろ行ってみたのですが、もうやっているではありませんか。驚くばかりです。
 それからこんなこともありました。常連の1人が昼過ぎに黒の喪服に着替えて、いったんサーキットを離れたと思ったら、1時間後には舞い戻ってきました。そしてラジコンコスチューム着替えると(この人の場合、とても清潔好きでエプロンまで着用しているのです)また6時までやっているのです。
 彼らの心の安らぐところ、いわば癒しの場はここなのです。彼らはここで至福の時を過ごしているのです。私もこうなりたい。しかし妻のいった「何か変」という言葉も脳裏から離れません。そこまでやりきれない自分がなんともやるせないのですが、そんなところが私のB級ホビーオヤジの「B級」たる所以なのでしょうか。
 B級ホビーが呼び覚ます「遊び」の感性
 ともあれ、私はこの自宅に近いただのサーキットをホームコースと決め、せっせと通うようになりました。そしてサーキット使用料で浮いたお金を、新しい高性能のエンジン購入に費やすようになったのです。そうすると、そのエンジンに負けないシャーシやタイヤ、マフラーが欲しくなり順次オプションを増やしていくということになりました。
 その上さらに新しいモデルや変わったモデルのエンジンカーを買い求めるようになり、ついには集めてフルオプション化することに喜びを感じるようになったのです。つくって走らせることよりも集めて飾り立てるという形の趣味に変ぼうしていきましたが、まあそれも「B級」なら許されることでしょう。
 私は今、かつて少年のころに味わったあの世界、つまり時を忘れ、童心に返り熱中するというあの世界をつくりつつあります。妻の「何か変」の感性はいささかも変化しませんが、そんな私を少しは理解してくれるようになってきました。しかし、決してお小遣いが増えることはありません。「理解はしてやるが金は出さん」という妻の私のB級ホビーに対する対処の仕方も固く定着したのです。
 仕事を終え、家に帰ってから楽しむことがあるという喜び。休日を趣味に充てることのできる楽しさ。私のB級ホビーは、私の心の中で失われつつあった「遊び」の感性を呼び起こしてくれました。
 私は今、小さな幸せを感じています。目次へ

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